2021年4月4日日曜日

週報・礼拝メッセージ 2021.04.04 イースター





 


今週の聖書の言葉 

聖書

イザヤ25: 6~ 9 (旧約聖書 p.1098)から

万軍の主はこの山で祝宴を開きすべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。主はこの山ですべての民の顔を包んでいた布とすべての国を覆っていた布を滅ぼし死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。

マルコ16: 1~ 8 (新約聖書p.97)

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。



説教「すべての顔から涙をぬぐう」 徳弘浩隆師

1. 涙も出てこないほど…

イースターおめでとうございます。クリスマスだけではなくて、最近ではバレンタインデー、ハロウィーンなど、正式には聖書の教えではないものでも西洋のキリスト教社会と関係がある行事として、だいぶん日本でも有名になり定着してきました。しかし、イースターはまだなかなか知れ渡っていないようです。

ただのお祭りにならないだけ良いことかもしれませんが、少し寂しくも感じます。

そんななか、コストコに行くと今年は大きな大きなイースターエッグのチョコレートが積み上げられていました。重さは6Kgで高さは60センチほど、お値段は当初2万2998円。何人もの人が立ち止まり、驚いて、写真を撮ったりしていました。「『正式名称はジャイアント イースターエッグ チョコレート』で、総カロリーは驚異の3万1848kcal」とインターネットでも話題になり始めました。「欧米ではおなじみのイースター(復活祭)を祝うエッグチョコ。6kgのチョコレートを使った本品は市販のものでは世界最大級です。」と説明付きでインターネットでも売られはじめました。そして、だれもが気になるけれど買ってみる勇気がないので、それをやった人の記事もネットでは少し有名になりました。それは、「この巨大卵チョコレートの中身は?」ということでした。

さてこれは、ブラジルではイースターには欠かせない物ですが、これほど大きいのは見たことがありませんでした。そしてその中身は、いろいろなタイプがありますが、この巨大チョコの中身は「空っぽだった」ということで、びっくり、ガッカリ、苦笑いと、色々な反応が書かれて少し話題になりました。

2. 聖書を学びましょう

しかし、この「驚き」や「意外な結果」は、実はいかにも「イースターらしい」ものといえます。そしてその聖書の言葉は、今の私たちに何を意味するのでしょうか?学んでいきましょう。

主イエスは結局、最後は人々に、そして弟子たちにさえ裏切られて、十字架にかかっていかれます。あれほどこの人に期待し、先生とあがめ、たくさんの群衆がついてきていたのに、です。それは、人間の勝手な期待と、妬み、迷い、恐れ、自己保身など、いろいろな心の闇が引き起こしたものでした。ユダヤ教の指導者たちは妬みや自己保身、古いものを変えられない心。あるものは政治的な革命を願ったけれどそうされなかったイエス様に失望。あるものは、寝食を共にし奇跡も見て神様の教えを聞き従ったのに情勢が変わっていくと自分の身を案じて逃げ出してしまいます。銀貨30枚と引き換えにローマ兵に売ったのもイエス様の側近でした。皆、いろいろな心の痛みやうしろめたさを抱えながら、十字架を遠くから眺め、恐ろしくて部屋にこもっていました。

しかし、何もできないけれど最後までついて行った弟子や女性たちもいました。金曜日は日が暮れるとユダヤの掟では何もしてはいけない「安息日」になるので慌てて埋葬したのでした。そして週の初めの日の朝、女性たちは香料を買ってその油をご遺体に塗るために、つまり、弔うためにお墓に行ったのです。重い石でふたがしてある洞窟が墓地になっていましたが、その石を誰かが転がしてくれるだろうか?と話し合いながら墓地に着くと、すでに石は脇に転がしてあり、中に入ってみると、そこは空っぽだったのです。

女性たちは「ひどく驚き」、そこで会った若者に「あの方は復活なさってここにはおられない」といわれ、「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた」と聖書は続けています。

3.振り返り

大きなチョコレートの話を思い出します。大きなものをどうやって開けようかと悩み、開けてみたら「空っぽだった」ことに気づき、びっくりするのはある意味同じことかもしれません。女性たちは、イエス様のお墓の出来事が理解できず、信じられず、逃げ去り、震えあがり、正気を失ったのです。誰にも言えませんでした、恐ろしかったから、と説明されています。

しかし彼らの目の前で起こっていたことは、イエス様があらかじめ、予告していたことでした。十字架で苦しまれるけれども、よみがえることをです。彼らはやがて、それをようやく理解していきます。その時には、主イエスを十字架で失ったことへの「悲しみの涙0.」、だれが墓の石を転がして開けてくれるだろうかという「心配」、弔いに行ったけれどその亡骸がなくなった「驚きと恐怖」は、すべて、「喜びと希望」へ変わっていくのでした。それが、聖書が伝えるイエス様の復活の出来事でした。

すべての心配や悲しみや挫折や失敗を滅ぼして帳消しにしてくれたのが、身代わりに死んでくれたイエス様の十字架です。いつまでも心配や挫折や失敗に取りつかれていた弟子たちは、びっくりして、変えられていきます。イエス様の復活を見たからです。それが、イースターの出来事なのです。

私たちにも、こういうものがないでしょうか。失敗した「悲しみ」、誰かを裏切り傷つけた「後ろめたさ」、どう解決していけばよいかという「心配」、そして希望のよりどころがなくなった時の「恐怖」などです。

これに比べれば、大きなチョコレートを奮発して買ってみて、ようやく開けてみたけれど、楽しみにしていた中身は空っぽという驚きなんて、大したことはありません。頑張っても頑張っても何度も失敗してしまう自分の心の空虚さも、大したことはありません。

全てに打ち勝ったイエス様がおられるからです。「この方の言われるように生きてみよう」。そう思うなら、洗礼を受けて、祈って新しい生き方を始めてみることです。旧約聖書は約束していました。「主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい 御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる」と。

4、勧め 

いつまで私たちは心配しているのでしょうか。恐れているのでしょうか。失敗を悔やんでいるのでしょうか。神様は、準備をしてくれました。何度失敗しても、懺悔して、悔い改めて、新しい生き方を始める機会を私たちに与えてくださいます。すべての人から涙をぬぐい、恥を拭い去ってくれるといわれています。

一緒に聖書の言葉を学んで、そのように生きてみませんか。その時から、私たちの人生も、家族や社会も、この世界も変わり始めていきます。神様の祝福がありますように。

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風の谷より・キリスト教ワンポイント解説 「主の祝いの山」

 イースターおめでとうございます。マルコ福音書の復活の記事は他の福音書とはかなり違います。それはマルコの書いている「福音のはじめ」が主の復活で終わり、それからの福音の伝達を女性たちに語っているように見せかけて読者にゆだねているからです。もっともそうするまでもなく、福音は「はじめ」を超えて広く伝わっているのです。そしてイエスさまのいない墓の中にいたのは2人の天使ではなく一人の青年。彼はゲッセマネに赴く弟子たちの後からついて来て、兵士に捕まりそうになって裸で逃げた青年です。それはマルコ、その人でしょう。福音書記者として登場していると思います。第一日課は主の山での祝宴です。主の復活は全ての人が招かれ、それを祝う祝いの場です。イースターの日付は春分の日の後の最初の満月の後の最初の日曜日。その日は天文台の観測で決められます。ですから復活の日は全世界を超えて宇宙で祝われます。シャローム!(三木久人)


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