2023年12月16日土曜日

説教メッセージ 20231217

 

聖書の言葉

ヨハネ 1: 6~ 8 & 19~28 (新163)

6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。  /中略/

19さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 20彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 21彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 22そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 23ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。

「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

24遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 25彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 26ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 27その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。



説教「まことの光・太陽と月の違い」徳弘浩隆牧師

1、暗闇の体験と、それへの備え…

今の日本では停電はそれほど日常的なことではなくなりました。大きな地震や台風の時に停電が起こり、慌てます。私はブラジルに十年いましたから、あたりが急に真っ暗になるという停電にも慣れました。信号が付いていないなんて言うのもよくあることで、皆慣れています。ブラジルに行った年の11月にブラジルでも例を見ない大規模な停電があり、それも体験しました。9つの州が停電になりました。

私はブラジルでの教会の活動とともに、その生活をインターネット上にブログで紹介していましたから、電気が復旧した時に早速それもレポートしました。すると、日本のYahooのニュースにもCNNやAFPの下の方に「ブラジル・大規模停電! ブログ。ブラジル宣教師便り」と掲載されて、ブログのアクセスは一日で1,000件以上に増えたのを覚えています。


その時から、停電時の対策として、手回しで発電してライトがつき携帯電話に充電することもできる照明を買いました。それと、停電したら自動的に明かりがつくコンセントにさしておく常備灯も買い、住居や教会の避難経路にも設置しました。帰国しても、災害に備えて充電式の常備燈や実はプロパンガス発電機も買って備えています。パエリャを作るコンロの2つのボンベは繋ぎ変えると長持ちする発電機になるのです。教会が防災や復興の拠点になればと思ってのことです。それほど電気や光は大切ですね。

さて、今日の聖書の言葉は、この、私たちにとって大切な「光」について語られます。一緒に神様の声を聞いていきましょう。

2,聖書 

今年はマルコによる福音書を読む年が始まりましたが、今日はヨハネによる福音書です。話の内容は先週のマルコの最初とほぼ同じで、キリストを迎える準備をする洗礼者ヨハネの話です。

ではなぜわざわざ同じエピソードが読まれるのかということが大切です。「クリスマス前によく祈って、悔い改めて、もう一度心にキリストをお迎えしましょう」ということですが、その念押しなのか、いや、違うとしたら、先週のマルコにはなく今日のヨハネにある違いを見ることが大切でしょう。そんな読み方をしてもよいと思います。

そこで出てくるのが、「光」という言葉です。

ヨハネによる福音書はイエス様の誕生物語がありません。その代わりに、旧約聖書の創世記の天地創造を思い出させる書き出しで始まっています。「はじめに言(ことば)があった」というのです。言(ことば)によりすべてのものが創られ、そのうちに命があり、それは夜を照らす光だった、と続けられます。

イエス様がヨセフとマリアという人間の夫婦のもとに生まれたけれど奇跡的な誕生であったというマタイやルカと違って、ヨハネは天地創造にまでさかのぼります。神の言葉によって創られた天地万物、そしてそのことばは夜を照らす光であり、いま、肉となって私たちの間に宿られた、とイエス様の誕生を別の角度から説明しているのです。

そんな、イエスキリストを証しするために、準備するために、荒野で人々に悔い改めを迫っていたのが洗礼者ヨハネでした。その偉大な働きに人々は、このひとこそメシア・キリストかと思い、期待し、そして問いました。しかし彼はそれを否定します。「私はメシアではない、単なる荒野で人々の悔い改めを叫ぶ声なのだ」と。福音書記者ヨハネも、「彼は光ではなく光について証しをするために来た」ものだと、説明しています。

3,振り返り 

私たちは、荒野で、つまり日常の一見幸せな生き方から離れた苦労や苦しみの場所にもいます。命や本当の平和について考えさせられています。そこで、声を聞き取っているでしょうか?それは、「悔い改めよ」という声です。わかりやすく言うと、「今のままの生き方でよいですか?」という声です。「人と人はねたみ、裏切り、うそをつき、争い、戦争がはじまり、命は奪われ、苦しんでいる今のままでいいですか?」という声です。「何かを、やり直そうじゃないか」という声、それが「悔い改めを迫る声」です。毎日の難しい問題ばかり報じるニュースは、私には悔い改めを迫る声とも聞こえます。この声が指し示すのが、暗闇の中にある「光」です。光は、足元を照らし道を示し、人の顔を照らしその気持ちをわからせてくれ、自分の心の闇をも照らして自己中心の自分の罪の心を知らせてくれます。科学が進歩して暗闇が征服された夜も明るい世界でも、常備等や発電機を準備していても、心の中の闇を照らし明るく楽しい生き方を保証してくれることはありません。

神様の本当の光に照らされて、正しい生き方を見つめ、生きていくことを促されています。

荒野での苦しみの中で声を聴き分け、闇に現れた光を見出すこと、それがクリスマスです。

4,勧め 

私たちも、その光を受けて新しい生き方を始めましょう。その時、自分の周りから、本当の神の愛を教えてくれたキリストの愛が始まります。迷いや裏切りや苦しみから解き放たれて、安心と相互の信頼と自信と希望の生活が始まるのです。それが自分から、自分の人間関係から、社会や世界に広がるとき、平和は広がっていくのです。

私は光ではありません。光を証しするもの、せめて、光を反射して世を照らすものにはなれるかもしれません。太陽は自ら光を発しますが、夜道を照らす月はそれを反射しているだけです。ここにも大切な教訓があります。「自分が正しい。あの人は間違っている」と思う時、自分自身が光だと勘違いするとき、世界は、宗教ですら、争いを始めます。

まことの光、本当の命と愛の源である神の光、イエス・キリストについて行くときに、月のように光を反射して周りの人の役に立つ生き方が始められるのです。戦火の中にあるパレスチナのルーテル教会の友人の牧師ミトリ師は、先日のネット上で世界中から700人が参加した集会で、「こんな世に光をともしましょう」と、ろうそくに火をつけて会を始めました。


愛と和解と希望の火をもって、キリストの光を反射させながら生きる生き方を、私たちも始めましょう。

 


牧師コラム・ 今日の写真・クリスマスのイメージ 

昨今話題の人工知能・AIですが、可能性や危険性も知ったうえで共存するために時々試してみています。

しばらく新規ユーザー登録が止まっていましたが、設備の増強が済んだとのことで再開しました。早速別の有料アカウントを取って試してみています。有料プランの方が最新の情報まで学習しているし、絵も描いてくれるというので、いつでも解約できるのでやってみました。

長距離運転中の眠気覚ましのおしゃべり相手にはまだまだでした。調べ物や絵を描くのはだいぶ上手なようです。試しに描いてもらいました。

お題は、「日本人向けのクリスマスポスターを描いて」です。「えー?」という突っ込みどころ満載ですが、面白い絵を描いてくれます。ほかの国向けのもやってみましたが、まずは日本人向けのものは、こんな感じでした。AIも平和利用を願います。


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