聖書の言葉 ヨハネ 11: 1~45
17さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。 18ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。 19マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。 20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。 21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
28マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。 29マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。 30イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。 31家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。 32マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。 33イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 34言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 35イエスは涙を流された。 36ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。 37しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
38イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 39イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 40イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 41人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 42わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 43こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 44すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
45マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。
説教 「その石を取りのけなさい」徳弘浩隆牧師
1, マリアとマルタ、そしてラザロ…
今日の聖書には、マリアとマルタが出てきます。イエス様の足元でみ言葉を聞いたマリアと、かいがいしく接待をしていたマルタ、そしてイエス様にマリアにも手伝うよう言ってくださいと苦情を言い、諭されたという有名なエピソードがありました。教会でも聖書の学びで、たびたび、話題になりました。簡単に復習しますと、この姉妹の違いは、伝統的には、マリアが「観想的生活」(vita contemplativa ビタ・コンプラティーバ)、マルタが「活動的生活」(vita activa ビタ・アクティーバ)と言われ、日本語で考えると、瞑想する人生と、アクティヴな人生ということになるでしょう。それぞれの良さや、時と場合の違いや、修道会では観想的生活が比較的良いものとされたり、マルタが苦情を言った段階で諭される原因を作ったなど、色々と解釈されてきました。
さて今日はここに、ラザロが登場します。イエス様はこの兄弟の家族と懇意にしていたと聖書は伝えますが、なんと、彼は死んでしまいました。
たびたび比較されるこのマリアとマルタは、この大きな悲劇の中で、イエス様とどんなやり取りをして、何を見つめていくのでしょうか。それは、私たちの生き方や信仰生活に、何を教えるのでしょうか?一緒に聞いていきましょう。
2,聖書
今日もやはり、イエス様が来られたと聞いて、真っ先に迎えに出るのはマルタでした。マリアは家の中に座っていたのです。やはり、行動的・活動的なマルタと、静かに思いめぐらしているマリアの違いが見えるようにも思います。
そこで、兄弟の死という危機的状況、そして、イエス様がすぐに飛んできてくれなかったという状況に対して、この二人のとらえ方はどのように違ったのでしょうか? イエス様の足元でみ言葉を聞いていたマリアの方が、せっせと食事やもてなしの準備をしていたマルタよりも優れていて、イエス様に褒められたでしょうか?
そう期待したいところですが、どうもそうではないようです。最初に迎えに出たマルタは、こういいました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と。そして、イエス様に呼ばれて急いで出てきたマリアも実は、同じことを言います。イエスの足元にひれ伏していたというのはマルタと違い、み言葉を聞いていた時と同じ様子ですが、こういいます。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と。
かつてイエス様の足元に座りみ言葉を聞いていて褒められたようにも見えたマリアも、あわただしく食事の準備をしていて手伝わないマリアのことでイエス様に言いつけをしたマルタも、ここでは同じでした。 彼らはともに、イエス様を、主とあがめ、信じ従っていたようですが、またマルタは口では「メシアであることは信じています」と言いますが、イエス様の言わんとすることは理解していませんでした。
そんなこの姉妹や、泣いているユダヤ人たちを見てイエス様は憤られたといいます。そしてこういわれます、「その石を取りのけなさい」。洞窟の墓の入口の蓋になっていた石を取りのけるよう言われたのです。それを拒もうとするマルタに、イエス様は言いました。「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と。そして、祈りをささげ、呼びかけるイエス様の声に従って、ラザロは生き返って墓から出てきたのです。
3,振り返り
彼らは、イエス様をそれぞれのやり方で信じ従っていましたが、それぞれ、イエス様の言葉を本当に理解はしていなかったのです。
問題が解決しない状況は私たちにもあります。しかし、大切なことは、イエス様が来てくれたら、一緒にいてくれたら、解決してくださる、または受け止めて生きていける、と信じることです。イエス様があの時いてくれていたなら、こんなことにならずに済んだのにと、イエス様を信じてはいても、今の目の前の現実をみると「遅すぎた」「もうだめだ」と希望も信仰も失っています。私たちもそんな人生を生きていないでしょうか?何が邪魔をしているのでしょうか?
イエス様は言われました。「その石を取りのけなさい」と。死んだ人と葬る洞窟の墓の穴をふさぐ石。私たちの心にも大きな石の蓋がされていないでしょうか?今までの経験とか、常識とかが、信仰や、希望や、勇気に蓋をしていないでしょうか。
4,勧め
私たちも、「その石」を取りのけましょう。自信過剰や、自信の無さ、過去の失敗や、苦しい思い出。傲慢も謙虚すぎる姿も、不信仰です。イエス様に出会って、大きな人生の変化が始まったと思ったら、この方に従っていこうかと思ったら、「その石」を取りのけて、この方と一緒に生きていきましょう。
この方も人々の罪で殺され葬られても、墓石を取りのけながら、復活して出てこられたのです。絶望と、不安と、真っ暗な闇の死の世界から、希望と安心と、明るい本当のいのちに、私たちも引き出されましょう。
それがこれから向かっていく、イエス様の十字架の出来事と、復活の出来事です。それに、私たちも従い、もう一度、生まれ変わりましょう。
牧師コラム 奇蹟で死人が生き返れば、全て解決?
ラザロの話を聞いて、素晴らしいと喜んでいると、ふと思います。悲しみを瞬間に奇跡で回復してくれたらどんなにいいか。大切な人が死んでしまったら、イエス様にお願いして、生き返ったらどんなにいいか。でも、みんながそれをしたら、大変。どうするんだ?と。そんなひねくれた自分がいます。イエス様はどうしてこの奇跡をされたのでしょうか? みんなのお願いを無理やりでも聞いてくれるのでしょうか?
ヨハネの福音書は奇蹟のことを「しるし」と言います。それは、これは「便利屋さんのマジック」ではなくて、目的があったからです。どんな目的?それは、ヨハネの福音書のここを読むと書かれています。「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 31これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(20:30-31) 。奇跡に驚き、それを願うだけではなくて、大切なものを知り、見えるようになりましょう。
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