2023年3月12日日曜日

説教・礼拝メッセージ 20230312

 ヨハネ 4: 5~42

7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。 9すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。 10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」 11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。 12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」  /中略/ 39さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。 40そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。 41そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。 42彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

説教 「焼け石にも負けない大水」徳弘牧師

1. 水なしでは生きられないが…

3月11日を今年も迎え、過ごしました。2021年3月11日は私はブラジルに行って2年がたったころ。遠く故国の災害を映像で見て、津波の恐ろしさと失われた命を見て涙が止まらなかったのを思い出します。すぐに日系人キリスト教会連盟で集まり、募金を集め始めました。そして、教会でゲストハウスをしていましたが、宿泊者以外にもインターネットを無料で開放して、メイルや通話で故郷との連絡に使えるように提供しました。

そしてもう一度心にとめるのは、今年のトルコ・シリアでの大きな震災のことです。瓦礫の中に埋もれていたのに数日後でも救出されたのは奇跡と驚かれましたが、適度な空間と寒さを遮る瓦礫、そして何とか手に入れた水がカギだったそうです。

私達は水がなければ生きていけません。しかし、水が多すぎても、いのちを落としてしまう矛盾も考えさせられます。水は大きなめぐみであると同時に、呼吸をして生きている私達は水の中では生きられない脅威でもあります。しかし、紀元前2-3000年に栄えたといわれる世界の4大文明は、大きな川の畔のものばかりでした。黄河、インダス川、チグリス・ユーフラテス川、ナイル川などがそうでした。川の恵みによる水が豊富なこと、川が時折氾濫して肥沃な土地ができ作物が安定して取れること、そして、川の氾濫を見極め対策を講じるのに成功した人たちからより高度な文明社会ができたといわれています。人を活かし、育て、しかし殺しもする水と言えるでしょう。

今日の聖書は、「水を飲ませてください」というイエス様の語り掛けから始まるお話です。そこから今日は何を学ぶことが大切でしょうか? 一緒に見ていきましょう。

2,聖書

 今日の舞台はサマリアです。何度か学びましたが、サマリアは「良いサマリア人」などのたとえ話もありますが、信仰的に素晴らしい人たちという代表ではないという事でした。サマリア人はユダヤ教の本流から離れ、他民族との雑婚も進み、宗教も乱れ、本当の神に従っていない人たちと見做されていました。そんな彼らの愛のある行いや信仰的な出来事が聖書にしるされています。それは、自分たちは信仰深くて正しい生き方をしていると傲慢になっているユダヤ人たちには驚きと悔い改めの材料にもなりました。教会に通っている私たちも、この逆転の出来事を見るために、心を備えて謙虚に読むことがまず、大切です。

このサマリアという「訳あり」の場所でイエス様が出会い、水を求めた相手も「訳あり」な人でした。ふつうの女性は朝早くに水を汲みに来るものなのに、この人はそうではなかったからです。あとの会話からも明らかになるように、彼女はまっとうな結婚や生活をしている人ではないようであります。他の女性たちと顔を合わせることをはばかっていたのだろうと、考えられます。

しかしそんな女性にイエス様は声をかけ、問答を通して、より高次元な話へと視野を高め、あの預言されていた救い主ではないかと、思うようになるのでした。

それは、「サマリア人の私に水をくれとユダヤ人のあなたが頼むのですか?」という問いに「誰が頼んでいるのか分かったなら、あなたの方から頼むだろう。」「この水は飲んでも誰でもまた渇くが、私が与える水は決して渇かず、その人の中で泉となり、永遠の命に至るわき水が出る」と禅問答のような語り掛けをされたのです。それにより、ただの物質としての水ではなく、もっと意味深い譬えだと気付かされ、「主よ、その水をください」とイエス様を見上げ、救いを願う者へと変えられました。

3,振り返り 

 私たちはどうでしょうか?いくつかのことを振り返り、反省しなければなりません。

1) 聖書の話を毎週聞いていますが、より高次元な神様と自分の関係、永遠の命に私たちの心が導きあげられているでしょうか?ただの教訓や道徳的な勧めではありません。

2) 問答の中で、イエス様のことを、自分の過去や苦しみをもお見通しの方だと認め、「主よ」と、この方を受け入れ従う者へと変えられたのです。

3) この女性の行動も大切です。高次元なことに知識も心も挙げられたら、まだそれを知らない人に、伝えたくて仕方がなくなるのです。そうして、町の多くの他のサマリア人を呼び、紹介します。

4) それを通して、彼らも信じます。しかし、人の紹介でそう信じたのではなくて、自らイエス様の言葉を聞き、救い主だとわかり信じたのでした。

4,勧め

 さていのちの水について最後に考えましょう。命を与える、私たちになくてはならない、貴重な恵みの水は、大水になれば私たちを殺しもします。

 しかしこの水で滅ぼされ殺されなければならないのも、いのちの水の役割です。それは、今までの罪深い生き方をしてきた罪びとの自分が、滅ぼされるという事です。たくさんの過ちや後悔や苦しみの自分を、そんな罪人の自分を一度殺してしまう事、ノアの洪水の時のように、私たちは一度、今までの自分に死ななければなりません。

多少の水で潤されても、この厄介な罪びとは変わりません。焼け石に水ともいえるほどです。しかし、イエス様の言葉や愛、そして見上げるところにある十字架は、私の罪の身代わりに裏切る私をゆるしながら死んでくださった確かな印なのです。この命の水は、焼け石に水というほどの役に立たないものではなく、圧倒的な量と激しさで、私たちを襲い、罪深さを殺し、イエスキリストの十字架からの復活とともに、新しい者として生き返らせてくれるのです。それが「洗礼」というものだと、再認識しましょう。そして生まれ変わった時には、この女性のように、人に伝えるという行動にも押し出されるのです。

 地震や津波のことも思い出しましたが、阪神淡路の大震災や、スマトラ沖地震のこと、そして台湾のことも思い出します。私はちょうどそういう役割が当時ありましたから、京都教会で救援本部を立ち上げ支援しましたし、スマトラ地震の一か月後にタイとインドにいきました。台湾地震の後も若者たちを連れて訪問しました。現地教会を訪ね、献金をお渡しし、慰問し、ボランティア派遣の計画を立て、送りもしました。それは、恵まれ、生かされている恵みに感謝し、困った人たちに寄り添い助けるための行動にルーテル教会として押し出されたのでした。

しかし、助けるつもりが、たくさんのやさしさや命に出会い、反対に支えられ、一緒に泣いたり、笑ったりもして、元気もいただいたのを思い出します。昨日も世界祈祷日の集会をして、台湾で出会ったご高齢者と日本語で話し合ったこと、日本が支配していた時代のことを身をもって学んだことも思い出さされました。私たちの罪を超えて、全てを洗い流し、新しくされる神様のいのちの水にもう一度生かされていきたいと祈らされました。私たちも、そんな神様とともに、生きていきましょう。 

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牧師コラム 今年の世界祈祷日は、台湾についてでした

毎年、いろんな国について学び、恵みや課題を知り、祈るのが世界祈祷日です。基本的に同じ日の同じころの時間帯に祈りますから、地球が一周する間、それぞれの国で学びと祈りの会が続けられ、一日中、いろんな言語で祈りは止まることなく、地球を、世界を一周します。今年は「台湾」についてでした。現地台湾の教会グループが作ったデモビデオを礼拝前に見ました。台湾は中華系だけでなくて、もともとのオーストロネシア系諸民族の方が多い多文化の「国」だと実感させられます。もともとの部族の方々は実はインドネシアの方々と近いのだと知りました。中国王朝やポルトガルやオランダ、そして日本の支配の時代もありそれらの影響も戦争責任も考えさせられます。いつまでたっても勉強の日々ですね。


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