2023年2月25日土曜日

説教・メッセージ 20230526

 聖書の言葉 マタイ 4: 1~11(新4)

1さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。 2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。 

3すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 4イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 

5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」 7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。 

8更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。 10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 

11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」


説教「悪魔は悪魔の顔をして来ない」 徳弘浩隆牧師

1. 神殿の屋根の端に立って…

今日から、四旬節・レントといわれる季節に入りました。私の親の入院騒ぎで急遽休会になりましたが、先週水曜日は「灰の水曜日」でした。そこから教会の典礼色は紫色になり、自分を見つめ、静かに悔い改める機関がイエス様の十字架と復活の日まで続きます。

洗礼を受けておられない、つまり小児洗礼でなかった成人の方は、この静かな季節を教会での学びや祈りで過ごし、復活祭の日に洗礼を受けるということも、広くあったようです。

さて、そんな復活祭に、復活教会ではその耐震工事や修復工事が無事に終わって、一緒に喜ぶことができればと、工事関係者には頑張っていただいています。復活教会の皆さんも、先週は仮の礼拝堂を作るために、ご苦労下さったと聞きました。ありがとうございます。

教会の十字架の塔も、外で下から見上げるときれいで、銅は、金色に輝いているようにも見えます。

この期間、足場がありますから、何度か上まで上がって教会を、そして近隣を見下ろしながら眺めてみました。徳川園も眼下に見えて、なかなか良い景色でした。その時思いだしたのが、今日の聖書の個所でした。イエス様が。神殿の屋根の端に立って、悪魔の誘惑の言葉を聞きます。そして、高い山の上にも連れていかれ、悪魔の巧みな言葉に試みられるからです。

教会の塔の上で、「ここから飛び降りても天使が守ってくれるかなぁ?」とか、「悪魔にひれ伏したなら見える全てをくれるといわれたら、どうしようかなぁ」と、苦笑いしながら考えてもみました。

今日の聖書の出来事は、どうなっているでしょうか?今日、私たちが読む意味は、どこにあるのでしょうか?一緒に読んでいきましょう。

2,聖書

 有名なところで、毎年この季節に読むのでおなじみのところかもしれません。

イエス様は、悪魔から誘惑を受けます。3つの問答がありました。見ていきましょう。

1) 断食をして空腹を覚えているのを見計らって、悪魔は「神の子なら石をパンに変えてみよ」といわれますが、「人はパンだけで生きるのではなくて、神の口から出る言葉で生きるのだ」と退けました。

2) 次に、聖なる都、つまりエルサレムの神殿の屋根の端で、「神の子なら、飛び降りても大丈夫なはずだ。聖書にこう書いてあるから」、と言われますが、「主を試みてはならないとも書いてある」、とそれを退けます。

3) 最後に、非常に高い山の上で、世界の繁栄ぶりを見せられた後、「ひれ伏して私を拝むなら、これをみんなあげよう」と言われますが、「ただ神である主を拝み、ただ主に仕えよと書いてある」と、これも退けました。

 このようにイエス様は、神の子だからという傲慢さを退け、神の子だから何をしても守られるという試みを退け、この世の富に目がくらむことなく神様に仕えることを選び取ったのでした。

 それらを退けたイエス様の武器ともいえるものは、ただの祈りや、自分の信念、または根性ともいえるような精神力ではなくて、神様ご自身の言葉だったという事が大切なところです。一つ目は申命記8.3、二つ目は申命記6.16、三つめは申命記6.13がイエス様の引用された聖書の言葉でした。一方、悪魔の誘惑も、詩篇9.11-13を使って誘惑してきたのでした。神の言葉を巧妙に持ち出して誘惑してくる悪魔には、自分の考えや言葉ではなくて、神の言葉で返して退けるという事です。悪魔と戦い打ち勝つ武器があるとすれば、それはただ一つ、「神様の言葉」なのです。イエス様ご自身がそうされたという事を大切にし、そこから学ばなければいけません。

 3,振り返り 

私達はどうでしょうか?トラブルや試練の時に、自分の考えや感情ではなくて、神様の言葉に答えを求めることができているでしょうか?

さて、この問答を聞いて思い出すことがないでしょうか?それは、アダムとエバが、神を離れて罪を犯していったときのことです。あそこで描かれているヘビも、無茶な問答で彼らに迫ったのではありません。「本当に神はこういったのですか?」と聞いてきました。神の存在を信じるヘビが、その方に背かせるように、神様の言葉を持ち出しました。「神様なんか、いないよ!」という言葉ではありませんでした。自分の考えや信仰を真っ向から否定されると逆に人間は、強くなります。「宗教は迫害される時にこそ、強くなり、成長する」といわれるとおりです。真っ向から否定するのではなく、神の存在を認め、こちらの信念や信仰を認めたうえで、神の言葉を前提に、その言葉尻から、誘惑してくるのです。

 わたしは、ダルクの後援会長を仰せつかっていますが、そのメンバーの方の言葉を思い出します。薬物やアルコールの依存からなかなか抜けきれない中、苦労しながら、自分を見つめ、正直に自分を語り、新しい生き方を求め、助け合いながらそれを生きている方々です。

 昔の格闘しながら生きていたころの話をされた後、笑いながらその方が言われました。「でも先生、悪魔は悪魔の顔をしてやってこないんですよね。そこが、むつかしい!」と。助けの手を伸ばしてくれているように見えて、信頼して心を許して世話になりかけたときに、スッと足元をすくわれることがある。そうしてまた、昔の自分に引きずり戻される、というのです。

 なるほど、そうだなと思わされます。イラストにあるような、いかにも悪魔のような、「デビルマン」のような恰好をしているなら、だれも騙されないかもしれません。

今日の悪魔の誘惑は、私たちにどういう意味を持つでしょうか?神殿や山の上に連れていかれて、いかにも悪魔というような存在からそそのかされることではありません。日常に潜んでいる出来事なのです。

それは、1)試練で苦しいときに、自分自身や、目の前のものを無理やり変えて正当化すること。2)信仰を持っていても、自分を過信して傲慢になること。3)神以外のものに心を寄せて生きること。聖書の三つの悪魔の誘惑をそういいかえることができるかもしれません。

4,勧め

 四旬節は、文字通り、40日間のことです。そして、教会のラテン語ではQuadragesimaといいます。ポルトガル語やスペイン語でもイタリア語でも同じ系統ですから似た言い方をします。意味は、「40番目の」という意味です。レントとも言いますが、これはゲルマン語由来の「春」という言葉から来た季節の言い方から来ているのだそうです。イエス様は、40日間断食をしたときには悪魔は誘惑しませんでした。それが終わったとき、40日目に悪魔はやってきます。

 それは、何かを達成したときかもしれません。断食や試練そのものの間は、気も張っているし、信念もあって何も寄せ付けないかもしれません。しかし、達成感があるとき、苦労や試練を抜け出すときこそ、悪魔の誘惑があるのかもしれません。

悪魔は悪魔の顔をして近づいては来ない。それは、よく見ると、自分の心の奥底にある自己中心の罪の心、良く見慣れた自分の顔をしているかもしれません。神様だけにつながって生きていくという事、それが今日の勧めです。そしてそんな過去の自分から抜け出して、罪から解放してくれるために来られたのが、イエス・キリストだという事です。四旬節の期間、そんなことを心にとめて、自分を見詰めていきましょう。この方に従って生きていくときに、安心と本当の心の平和があるのです。さぁ、一緒に歩んでいきましょう。 


牧師コラム カーニバルって?

四旬節の飲酒や肉食も控える静かな期間が始まる直前に、楽しいパーティーをしようというのが発端のカーニバルといわれます。ブラジルでも、今年はコロナあけで3年ぶりに大々的に開催されました。私の知人のサンバの先生たちも活躍している写真を今年もいくつも見ました。カーニバルは多くの日本人の思っているような、肌の露出が多い、ただの乱痴気騒ぎの踊りではありません。各チームは、テーマやストーリーがあり、衣装もそれに合わせて凝っています。時間も守られなければ、減点になり、リオやサンパウロでは毎年どこのチームが優勝するかを競います。今年、サンパウロのカーニバルで優勝したチームは、織田信長が重用し侍にしたアフリカ人奴隷「弥助」とそのストーリーがテーマでした。現地日系の新聞は次のように報じています。<16世紀にキリスト教神父が日本に連れて行ったアフリカ人奴隷が日本で侍に取り立てられて「弥助」となった歴史的逸話をもとに、多彩なアフリカ文化表現も融合した異色のパレードとなった。> 興味深いですね。

関連リンク:

《ブラジル》サンパウロのカーニバル=優勝した黒人侍「弥助」パレードを解説=日本とアフリカがサンバで融合(ブラジル日報) - Yahoo!ニュース


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