聖書の言葉 マルコ 6:14~29 (新71)
6: 14イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」 15そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。 16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。 17実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。 18ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 19そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 20なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 21ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、 22ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、 23更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。 24少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。 25早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。 26王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。 27そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、 28盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。 29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
説教「神様の言う平和とは」 徳弘浩隆牧師
1、夏は幽霊屋敷の季節?
毎日が、暑くなってきました。熱中症にも気を付けなければなりません。「暑いときは、外出を控えて、水分をとり、家でもエアコンを適切に使いましょう」とニュースでも何度も呼びかけられています。
しかし、エアコンが一般的ではなかったころは、暑いときは涼しくなるようにと、夏は幽霊の怖い話、つまり怪談が語られたりもしました。夏の映画やTV番組は会談が定番でした。背筋が凍る、ヒヤッとする話という事でした。そして、たいていその場合、死んだ人が生き返る?という話が出てきました。惜しまれた人が生き返ってうれしいというハッピーエンドではなくて、恨みや苦しみ、殺された人が、「化けて出る」というのが定番でした。
今日の聖書は、そんな話でもあるかもしれません。洗礼者ヨハネの物語が説明されています。その死と生き返ったかという噂は何を意味していたのでしょうか?そして、やがて彼らが目にするイエスキリストの死と復活と、どんな違いがあるのでしょうか?一緒に聖書を見ていきましょう。
2,聖書
マルコには「ヘロデ王」と書かれていますが、これは、ヘロデ大王ではなくてその子供の一人でその領地を分割統治することになるヘロデ・アンティパストいう領主のことだと考えられています。彼は、イエス様の活躍されたときのガリラヤやヨルダン川を挟んだ東側のペレアの領主でした。後にイエス様が十字架にかかる前に捕らえられた時に、ちょうどエルサレムに来ていたこのヘロデに尋問されることになると、出てきます。
このヘロデは、洗礼者ヨハネを捉えて処刑してしまいますが、後にイエス様が十字架にかけられる前に、このイエスという男の出身地ガリラヤの領主だという事でそこに送りつけられ、イエス様を尋問するということになり、ヨハネとイエス様両方の生死にかかわってしまう事になったのです。
今日の福音書は、イエス様が登場しません。その奇跡やみ言葉もありません。ここからどんな神の声を聴こうかと、悩み苦しむところですが、このヘロデの心の内を覗き込みながら、私たちの生き方への神様の声を聴いていきたいと思います。
ルカの福音書では、弟子たちを派遣した後で、彼らが帰ってくるまでの間に、この話が挿入されています。故郷では受け入れられなかったイエス様ですが、その地の領主ヘロデのもとにもそのうわさが聞こえ、彼が恐ろしくなったという事です。
どうしてヘロデはそれを恐れたのでしょうか?それは、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と思ったからです。まるで日本の怪談噺の定番のようです。殺してしまう前に彼はヨハネのことをこう思っていました。「ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」のです。自分の罪を指摘され、身を守るためにヨハネを捉えていましたが、ヨハネの正しさに気づき、気にしていたのです。しかし、ヨハネを恨んでいた妻へロディアの策略で、後に引くことができなくなり、ヨハネを殺してしまいました。ヘロデの心は、ヨハネの正しさを理解し魅かれながらも、ヨハネの正しさゆえに責められる自分の罪や不正からくる恐れのはざまで苦しんでいたのでしょう。結果的にそのヨハネを亡き者にしてしまったので、恐れは無くなりました。「しかし」です。イエス様の活躍の話を聞き、あのヨハネが生き返ったのかと、もっと恐ろしくなったのでした。今日の聖書は、そのようにヘロデが思い、恐ろしくなった理由として、彼がヨハネを殺してしまった話が説明として語られています。ですから、その殺された出来事ではなくて、それを思い出して、さいなまれるヘロデの心を見つめることが大切かと思わされます。
3,振り返り
今日の聖書から何を私たちは振り返りましょう。このヘロデが、目の前の問題を解決して一度は心に平和を得たけれども、実はそれは本当の解決ではなかったということです。正しいことをいう人で惹かれてもいるけれども、その正しさは自分の罪深さをも指摘するので邪魔でもある。そこでその人を排除したけれども、本当の解決ではなくて、自分の罪深さをさらに際立たせ、イエス様の姿にヨハネの残像を見、今まで以上に恐ろしくなるという状態でした。
私たちの生き方はどうでしょうか?神の声を聴き、神を愛し人を愛すようにという正しい生き方を知りましたが、そうできていない自分もいます。神の正しい声をかき消してしまえば一時的な心の平和はありますが、それは長続きする本当の平和ではありません。
殺すべきは正しいことを言う預言者でも、イエスさまでも無くて、自分の心にある罪の心だという事を考えさせられます。しかし、わかっていてもそうできない罪人の私達です。そのために、イエス様は十字架に代わりにかかり死んでくださいました。
私たちも、この方の十字架とともに、今までの罪深い心を十字架にかけて滅ぼしてしまうのです。そして、よみがえれらたイエス様とともに、悔い改めと本当の生き方を知り、新しく生きることを始めさせていただくのが、洗礼を受けてキリスト者として生きていくという事になります。
4,勧め
洗礼者ヨハネを殺し、イエス様を尋問し追い返したヘロデは、私たちの姿かもしれません。正しさに気づき、魅かれながらも、そのように生ききれない自分の姿かもしれません。
今日の詩篇の言葉はこう告げます。詩編85編9節です。「わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます。御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に彼らが愚かなふるまいに戻らないように。」
愚かな振る舞いに戻らないように、神様の宣言される本当の平和の中を生きていきましょう。安心と、平安が待っています。そんな一緒に教会生活をしていきましょう。
牧師コラム・ 猛暑対策、スマホで自宅礼拝!
教会でも、猛暑対策で夏の聖書研究会を8月はお休みにしたりします。礼拝にも多くの方に集まっていただきたいところですが、無理をしてもいけません。
暑い中、電車やバスを乗り継いで教会に来るだけでももうぐったりという事も分かります。どうぞ、ご無理されませんように。では礼拝出席はどうしたらいいですか?
コロナ蔓延の時の対策をしていた頃は過ぎ去りましたが、教会に集まれないときのためにと、試行錯誤しました。そのころから、礼拝を中継して、各自家で礼拝を守れるようにもしました。それから、今では、ご事情があって教会に来られない方や、ご病気で来られない方も、この礼拝中継を見て「礼拝参加」してくださっている方もおられます。また、牧師が担当する教会が増えて、行き来できないときには、この礼拝中継を遠くの教会で活用するという事もしています。司式は現地の教会で信徒の方にしていただき、讃美歌や祈り、聖書朗読を皆でして、ちょうど時間を合わせて、時々少し調整して、牧師の説教のところをスクリーンに映して、メッセージを聞き、その後はまた信徒の方の司式で、献金や教会の祈りへと続けられ、礼拝にあずかることができています。これを猛暑対策でも、各自で、利用してみませんか?週報や教会だよりのQRコードをスマホで開いて、そこから礼拝の中継を自宅のスマホからでも見ていただけるようにしています。ご利用ください。不具合があれば、調整します。見てみてください。
(QRコードは徳弘牧師YouTubeチャンネルです)
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