聖書の言葉
ルカ 24:44~53 と 使徒言行録 1: 1~11 (新213)
1:1-2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。 4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。 7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。 8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
説教「なぜ天を見上げて立っているのか」徳弘浩隆牧師
1、どこかで聞いたセリフ
今日の使徒言行録の言葉、説教題にも選びましたが、この言葉はどこかで聞き覚えがあるかもしれません。「なぜ○○○○を見ているのか?」という天使の弟子たちへの問いかけです。
これは、そのまま、教会に通っている私たちにも、神の使いが問いかけている言葉にも聞こえてくるから、大切な言葉だと思います。
おぼえておられますか?そう、ルカによる福音書にもありました、キリストが復活されたとき、墓穴の中を見つめているマグダラのマリアたちに、天使が呼びかけました。そして、その言葉に視線を変えるように促されたのです。あの時と同じように、弟子たちは天使たちに問いかけられました。大切なところではなくて、自分たちの心配や思い込みで、別のところを見つめたままの弟子たちに、正しい方向を見るように促したのです。
私たちも、毎日の生活の中で、間違ったところだけを見つめて、あくせくしているかもしれません。どこに視点を転じたらよいのでしょうか?一緒に学んでいきましょう。
2,聖書
今日の聖書は、ルカによる福音書の最後と、使徒言行録の最初から選ばれています。今日は主に、使徒言行録の方を見ながら、神様の声を聴いていきたいと思います。
説教は福音書の言葉から神の声を聴くべきではないかと、そう思われることがあるかもしれません。ある面もっともなことです。福音書こそ、キリストのご生涯と教えがまとめられて伝えられているからです。しかし、今日の福音書と使徒言行録は特別です。使徒言行録の冒頭に、テオフィロという人に宛てた言葉が書かれています。その中で、「先に第一巻を書いた」と言及されているのが、ルカによる福音書と考えられています。
つまり、これらは実は続きものだと考えられているのです。ですから、ここ2年程、教会の聖書研究会ではルカによる福音書を駆け足で学び、その次は使徒言行録を学びました。そこでは一貫した流れを学ぶことができました。キリストの出来事から最初のキリスト教会と宣教の歴史、そして、ユダヤ人たちへの教えではなくて異邦人にキリストが伝えられたいきさつです。そして次にはエフェソ書を学びましたが、エフェソという異邦人の町の教会にあてた手紙を読みながら、日本という別の文化や宗教で生きる私たちが「異国の宗教」であるキリスト教を信じるにあたっての間違いや問題とそれへの教えを参考にしたいと思っての事でした。
さて、今日は昇天主日です。これは、今日のルカによる福音書と、その続きの使徒言行録が伝えているキリストが天に昇って行かれるという出来事です。
興味深いことに、5節では使徒たちは、つまり主要な弟子たちはまだ的外れな質問をしています。キリストは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを数多くの証拠を持って示し、40日間にわたって彼らに現れて、神の国について話されたとルカは振り返りながら説明し、続くキリストの言葉を伝えます。それは「エルサレムにい続けなさい。約束されたものを待ちなさい。聖霊による洗礼を授けられるからだ」と。それに対して使徒たちは、「イスラエルのために国を再建されるのはこの時ですか?」と尋ねたのです。
まだ、彼らの思い込みと期待による、イスラエルという地上の国の再建をしてくれる王様としてのメシアを期待していました。それがいよいよかと、問うたのでした。それに対してキリストは、「そのときは父が決めることである。聖霊が降ると力を受ける。そしてエルサレムばかりではなく、地の果てに至るまで、私の証人となる。」と「つまり、私の言葉と出来事を伝えていくのだよ」と言われました。そしてキリストは祝福をしながら天にあげられたのです。
3,振り返り
さて、大切なのは、それに対する使徒たちの姿です。あっけにとられて天を見上げました。そして、そのままだったのです。天を見上げていたまま。
そこに冒頭に考えた天使の言葉です。「どうして天を見上げたまま立っているのか?」それは今の私たちにも問いかけられていると考えてきたとおりです。
最後まで神様の御心を理解できず、いよいよその時が来たのか?と自分の願いだけを考えて的外れな期待をします。キリストに教えられ諭されても、まだ、いなくなったキリストの方を見ているだけなのです。
自分の願い事だけを祈り、それがかなうのはいつか、今かと、神様に問い続け、神様のもっと大きな恵みや、自分の使命に気が付かないのでした。そして、私たちも、自分のことや目の前のことだけに心を奪われ、迷ったり、立ち止まったり、衝突したり、です。キリストは何も解決せずに、天に帰って行かれたよ、と見上げていただけだったのかもしれません。
天使は、そんな彼らに、そして、そんな私たちに呼びかけています。またおいでになる、と。神の霊が注がれ、その力に満たされ、自分自身が変えられてゆくことを思い出さされるのでした。
4,勧め
祈りは大切です。しかし、自分の願いをかなえてもらうためだけではいけません。そして、すべてがうまくゆくような解決を待つだけでもいけないのでしょう。神の霊に満たされて、変えられてゆく自分が、神様の計画を実現しお助けする側になること、それによって願うだけではなくて、それを実現するものにされてゆくことを考えてゆくことも大切です。
今日のキリストのまとめの言葉と、天使の呼びかけの言葉は、そのように私の心に届きました。
見上げて立っているだけではなくて、足元を見て、神の願いを自ら生きるものになりましょう。
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牧師コラム・ 今日の写真 I Love YOU!
先日公園に行きました。春には、桜がきれいで沢山の人たちが桜を楽しんでいました。そのときは、車を停めるにも長い行列でなかなか駐車場に入れませんでした。入ると、多くの人が、そして沢山の外国人の人たちもあちらこちらに座って、桜を楽しんでいました。
先日行ったときは、とてもきれいなバラが咲き乱れていました。バラ園がきれいに整備され、沢山の品種の桜が裂き比べているようでした。
いろんな名前のバラがあるんだなぁ、と思いながら少しだけ回りました。そこで見つけたのがこのバラ。その名は「ティアーモ」とカタカナで書かれています。横にはアルファベットでも書かれていますがこんな具合です。
「Tiamo」。ブラジルにいた私はすぐにピンときました。その写真を撮って、ブラジルにいたときにお世話をしていたこども達数人に送りました。すると、翌日数人から返事がきました。「Ti amo!」と。
このバラは、ドイツの品種ですが名前はイタリア語。意味は「I Love YOU!」で、ポルトガル語でも同じように言います。もう5年もあっていないけれど、何度もメッセージや写真をやり取りしているブラジルの子どもたちに送ったメッセージはその意味が分かって、同じ言葉で返事を送ってくれたのでした。バラのきれいな花と一緒に、とっても嬉しくなりました。
さてこのバラの名前と、その意味、その赤い花びら、続きのお話は来週のペンテコステの説教でお話ししましょう。
お楽しみに。
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