2023年10月21日土曜日

説教メッセージ 20231022

聖書の言葉 マタイ 22:15~22 (新43)

15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。


説教「あなたは誰のもの?」徳弘牧師

1, 私の担当は…

最近知り合いができたトルコの国や歴史に関心が大きくなりました。何も知らない自分に気づいて、もっと知らねばと思ったのです。そこで、色々調べ物はしますが、Netflixでトルコのドラマを見始めました。音声は現地語で、字幕を日本語になどと選ぶことができるので、その国のTV番組や歴史や暮らしぶりを、ドラマ越しですが看ることができます。他にも、米英とロシアや中東が絡むスパイドラマなど、週に一度の息抜きと異文化体験で見ています。国の歴史と紛争、そして民族と宗教の絡み合いがどこにもあり、考えさせられます。

そのなかのスパイドラマの中で各国の情報組織が面談して情報交換するときに、自己紹介と握手をしていました。「私はロシア担当」「私は中東担当です」というとアメリカの大使とともにいた補佐官は「私の担当は全世界です」と言って、みんなで笑いながら握手をするというシーンがありました。

今日の聖書を読んで日曜日の準備をしていた私は、聖書の言葉を思い出しながら一緒に笑いました。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」というキリストの言葉を読んで、「私は誰のものだろう?」「私の社会や世界へのかかわりは、どんなことだろう?」と思いめぐらしていただからです。キリストの今日の言葉と、その意味を一緒に聞きましょう。

2,聖書 

今日のできごとは、イエスを罠にかけるために言葉尻をとらえようとしたファリサイ派の人々がヘロデ派の人々と共にやってきて質問したときの出来事です。ファリサイ派はユダヤ教の律法を厳格に守り、ヘロデ派はユダの国を占領支配するローマ帝国にすり寄る政治的なグループですから、この二つは本当は対立する関係です。しかし、イエスという共通の敵のために力を合わせたという、興味深い出来事です。それほど、イエスの教えやグループは影響が大きかったとも言えます。難しい質問をして、どのように答えても、ファリサイ派かヘロデ派のどちらかが怒る、という難しい質問で、イエスを陥れようとしたのです。

慇懃無礼(いんぎんぶれい)な呼びかけの後、彼らはイエスに問います。「ローマ皇帝に税金を納めるのはユダヤ教の律法に適っているか?」というのです。

Yesと答えればファリサイ派がイエスを罪に問える、Noと答えればヘロデ派が罪に問えるのです。

これに対してのキリストの答えは、いつもの通り見事でした。税金を納める通貨はローマのものですから、「その銀貨に誰の肖像と銘があるか?」と問い返したのです。それは皇帝の肖像でした。そこで、ならば、「皇帝に返しなさい」と言われました。

皇帝に捧げなさいとは言われなかったことは、律法に違反するかどうかを避けるお答えでもありました。そして、それでお返事は終わりません。「神のものは神に返しなさい」とも続けられたのです。これを聞いて彼らは驚き、立ち去るしかありませんでした。

3,振り返り 

これを読んで私たちは思うかもしれません。「この世のコト、つまり社会や世界のルールやあり方もそのまま肯定するしかないか」と。社会の支配者や政府をそのまま肯定し、私たちは、信仰を持っているから私たちだけで内向きの秘密結社のように教会の中だけで信仰を守り抜き、使い分けをしてもいいのか、ということです。それは、気を付けなければならない誤りだと思います。この世のことと、信仰のことを二つに分けるべきで、使い分けてもいいと、キリストは言っておられないのです。

キリストは誰の肖像があるか?とローマの銀貨について問われました。そこには、ローマ皇帝の像がありました。ローマ皇帝の姿にかたどられた肖像があったのです。ユダヤ人はその支配の中で、その銀貨を使っていました。しかし、ユダヤの神殿では異国の神ともされる皇帝の肖像をかたどった銀貨は使うことできません。ユダヤ教の律法がゆるさないのです。だから、神殿には「両替商」がいました。両替商は、献金をするときに、大きな金額の硬貨しかないから小さく両替してもらって少しだけ献金するための両替ではありません。ローマの銀貨をユダヤの硬貨に両替してから神殿に献金する必要があったのです。

4,勧め 

さて、最初の私の問いに戻りましょう。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返す」というキリストの言葉から「私は誰のものか?」という問でした。

この世の出来事は、キリストを知らない人が多く指導している政府や国です。しかし、それ以上に、そもそもの話として、私たちのいのちや、この世の国の秩序も含めてすべては、神によるもので、神様のもののはずです。神を知り、生き方を変えられたこの私も、神のものです。ですから、神を愛し人を愛する生き方を生かされています。

そこから見たときに、この世の在り方をそのまま肯定するのでもなく、分離した生活をするのでも無く、社会や国や世界にも、神を愛し人を愛する生き方をして、関わっていくことが大切です。

いさかいや差別、戦争や不平等の出来事を知り、心を痛めます。これは自己絶対化や自己中心の心、聖書が言う「罪」によるものです。私たちは、神に似せて、神にかたどられて造られたのに、いつの間にか、この世の神というローマ皇帝をかたどった銀貨に心を費やし、神以外のものにかたどられてしまっていました。そんな私たちを、キリストは十字架により本来の姿に創り替えてくれたのです。私は神様のもの、この世界もすべて、本当は神様のもの。その気持ちで生きていきましょう。過ちを悔い改め、それを正し、生き方を変えるのです。その時、心の平安と、和解、社会や世界の平和も訪れるはずなのです。

 


牧師コラム・ 今日の写真 「LineでのQ&A」    


 イスラエルとパレスチナの間で戦争が始まってしまいました。混迷を極めるニュースを見る中、どうしてこの地の紛争が絶えないのか。イスラエルとパレスチナ、ユダヤ教とイスラム教とキリスト教についての質問を受けることが多くあります。先日もLineで教会メンバーから質問があり、新幹線の中で取り急ぎお返事をしました。雑駁で不完全ですが、一緒に考えてみませんか?

Q:徳弘先生、突然ですが、イスラエルとガザの争いは、なぜ起きているのですか?イスラエルはキリストの聖地なのに、主イエスが残したものは何だったのですか? 何を争っているんですか?唐突にすみません。

A:イスラエル(主にユダヤ教)のエルサレムなどはキリスト教の聖地と考えられると共に、イスラム教やユダヤ教でも聖地です。パレスチナ人は主にイスラム教です。 

歴史的にはこうです。キリスト以後392年にキリスト教を国教化したローマ帝国ですが、その後東西分裂し、後に東はイスラムの国になります。西のキリスト教国は十字軍戦争で「聖地奪還」を試みましたが適わず、今のイスラエルの地はキリスト教でもユダヤ教でもないイスラムの国が続きます。戦争で教会も疲弊し権力や金に依存する教会になってしまい、16世紀にそれに疑問を提出したのがドイツの修道士・神学教授のマルチンルターですね。以後プロテスタントが次々に出来てキリスト教内の戦争も続きましたが、昨今はようやく共同し世界に尽くすと言う風潮が出来ました。しかし、東欧ではキリスト教の名も出して戦争が続いていることに心を痛めます。ユダヤ教やイスラム教の中にも排他的な原理主義者もおり、宗教も絡んだ紛争・戦争を起こしています。また、キリスト教内にも原理主義者グループやカルトがあることも忘れずに気をつけねばなりません。ハマスはパレスチナ全体の代表ではなくガザ地区を実効支配する原理主義者達の自治政権です。ヨルダン川西岸のパレスチナ政権はイスラエルとの共存も目指しています。

Q:ヒトラーがユダヤ人を迫害したのは、なぜですか?イスラエル建国は大戦後なんですよね?大戦前は、全部パレスチナだったんですか?

A:第一次大戦で敗戦し多額の賠償金を要求されたドイツは貧しくなりました。そんな中、人気を得たのがヒトラーでした。国が困難に陥ると国内の外国人やその子孫を排除することはどこでも起こる悲しい人間の罪深さですね。彼は国粋主義の風潮で首相になりました。標的は商売や金融で成功もしていたユダヤ人達で財産も没収しました。キリストを十字架にかけたという憎悪もありました。エジプトがやがて寄留者のユダヤ人を奴隷同様にしたのも、国内の他国出身者を差別する人間の罪深さですね。

イスラエル建国前のパレスチナは現トルコを中心とする広大なオスマン帝国の一部でした。この国は第一次大戦でドイツと共に戦い、敗戦します。その時、イギリスが3枚舌外交をし戦争を有利に進めました。戦勝時に味方国フランス・ロシアとの分割案と共にパレスチナ人にもユダヤ人にも戦後独立を支援すると。これが今のイスラエル建国とその後の中東戦争の発端の一つにもなります。イスラエルは第二次対戦後1948年にそれまでパレスチナ人が住んでいた場所に「帰国」して建国。これを助けたのは、大戦中のヨーロッパでのユダヤ人虐殺の「罪滅ぼし」の心情も強かった「キリスト教」諸国でした。当初共存していたユダヤ人はパレスチナ人を追い出し、紛争のたびに占領地を拡大して今の形になりました。追い込まれたパレスチナ人は「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ」の二ヶ所に「イスラエルという国の中の自治区」となりましたが依然イスラエルの中の閉鎖された被差別地域の様相です。それはキリストの時代のローマ帝国とそれが占領支配するユダヤ人のイスラエル(ユダの国)のような状況です。帝国主義に抑圧された被害者の国民が、他民族や宗教を抑圧する新しい帝国主義になってしまっています。(続)


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