2022年8月7日日曜日

説教メッセージ20220807

聖書の言葉 

創世記15: 1~ 6 (旧19)

5主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」6アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。


ルカ12:32~40 (新132)

12: 32小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 33自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。 34あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

35「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 39このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 40あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」


説教「小さな群れよ、恐れるな。」徳弘牧師

1.「大丈夫よ」と言われても

今日は、教会のカレンダーでは二つの意味がある日です。一つは「聖霊降臨後第9主日」という、今までの通常の流れでルカによる福音書からイエス・キリストの言葉を聞く日。そしてもう一つは、「平和主日」といわれる、戦争の罪を悔い改め、平和を祈る日です。それぞれの主日のためには、別々の聖書朗読のセットが選ばれています。

各教会では通常、どちらか一つを選んで礼拝をすることになりますが、それぞれの聖書個所を読んでみて、それら両方の意味深さを思いながら、心に響く神様の声を聴いてみました。共通して、一貫して、私たちの今の心に響く神様のメッセージを聞いたように思うからです。聖霊降臨後第9主日の聖書日課を主にしながら、平和についても考え祈っていきたいと思います。

それは、多くの難しさの中を生きている私たちの今の生活に呼びかけます。

感染症のただなかにいて、目に見えないものに振り回され、しかしそれは確実に私たちの生命や日常生活を難しくしています。そして、平和も、今までのような「戦後何十年を振り返り平和を祈る」という祈りではなくて、今の現実に、あれよあれよという間に戦争がはじまり、祈り支援しているのに終結せずに長期化、私たちの生活にも影響が出ているからです。

明るい日が差してきて、希望を感じるのではなくて、いつまで続くかわからない暗闇の迷いと絶望の中にいる、それを私たち人類は世界で一緒に経験しているところです。無力感を感じ続けているといってもいいでしょう。そんな私たちに聖書はどう語るのでしょうか?

 2.聖書

「小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国をくださる」と呼びかける聖書の言葉は、この言葉が好きだという方も多いところです。「小さな群れよ」というのも、多勢に無勢のような状況でもがくときに、こんなに小さくて何もない自分には到底太刀打ちできない、と思うときに、ピッタリの言葉です。教会を考えても、大教会ではなくて日本の小さな教会で一生懸命信仰生活を続ける私たちには、神様からの名指しの呼びかけのようにも聞こえます。

実際、今日のイエス様の話は、弟子たちに対しての言葉でした。どんな流れで言われたのでしょうか?ルカによる福音書の全体の流れを振り返りましょう。

1)イエス様の聖誕と子どもの頃の話。急に飛んで洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後荒野での試みに打ち勝ち、宣教活動を始めて群衆が集まり弟子たちが選ばれる。ペトロがイエス様を神が送ったキリストと信じその信仰を告白する。イエス様は十字架の苦しみを予告される。

2)ペテロの信仰告白を機に、時が来たと、最後の使命のためにエルサレムへ旅を始める。その途上でいろいろな説教をし、奇蹟をし、人々と出会われる。一方、ユダヤ教の律法学者やファリサイ派の人たちからも議論で挑戦され嫌われ、今後の迫害も予告される。

3)そしてエルサレムへ入城してそこでの最後の出来事。十字架と復活と昇天を通じて、神様の予想外の方法で、人々を悔い改めさせ、新しいいのちを始める道を開く。「神の国」つまり、「神様の本当の愛の支配」が弟子たちの心から始まる。

という流れになっていますが、今日は2)の途上で、迫害もされる小さな群れである弟子たちに、「何も恐れるな」と語られます。先週の聖書日課では「財産よりも命を左右される神様を大切にすること」を教え、その続きの話で、「ただ神の国を求めなさい、そうすればこれらのものは添えて与えられる」と、語られた、今こういうところにいます。

3.振り返り

しかし、「恐れるな。大丈夫だから」といわれても、物足りないときもあります。「どうして?」と思ってしまうからです。

人の相談を聞いて、「大丈夫ですよ」と言うだけや、「わかるわかる」と言ってみても、言われたほうからすると何の助けにもなってないと怒られ、安易にそう言ってはいけないと反省することもあります。神様は、どうでしょうか?

イエス様には、今エルサレムに一緒に向かい、目的地で果たされる十字架の出来事が答えでしょう。それによって、すべてが変わる神の救いの業が達成される。信じる者は今までを赦され、罪を悔い改めた心にはキリストがそうされたように私たちも他者を愛する大きな愛が宿り始める、新しい生き方が始まるからです。それが、「神の愛による支配がある生き方:神の国」だからです。

一人一人がそれを受け入れ、変えられていくときに、憎しみはゆるしに、無関心は同情に、争いは助け合いに変えられていくはずなのです。そこに、神の愛の支配される社会、平和が実現するはずなのです。

そんな神の愛に、キリストの愛にとどまり続けることを、平和主日の聖書の言葉も、私たちに告げています。

4.勧め

最後にもう一人、「そんな事どうして?大丈夫と言われてもどうして信じられるでしょうか?」といった人を思い出しましょう。それは、今日の聖書日課で読まれた旧約のアブラハムです。ユダヤ人の信仰の父とあがめられる彼も絶望の中にいました。しかし、「神は祝福し子孫が繁栄する」との神の使いの声を聴き、信じられませんでした。そんな彼を外に連れ出し、満天の夜空に輝く星を見せました。子孫はあのように増え広がり、輝く存在になる、祝福される、それが約束のしるしだ、と。

暗闇で立ち止まり、うつむき、現実だけを見る私たちに、視点を変え、天を仰ぎ、暗闇にも輝く無数の星があることを教え、明るさの中に呼び出し、将来を約束されたのが神様でした。そして、それを信じたのがアブラハムでした。

私たちも、むつかしい現実だけを見て暗闇に閉じこもるのではなくて、天を仰ぎ、神様の約束を思い出しましょう。信仰を受け継ぎ、イエス様に新しくされた私たちは、同じ約束を神様から頂いているのですから。

私達の心の中に、そして世界に、平和をお祈りします。


平和をいのる「爆弾には愛を」 

彼は私の友人、イスラエルのパレスチナ自治区に住むルーテル教会の牧師、ミトリ・ラヘブといいます。ベツレヘムのルーテル・クリスマス教会の牧師を長年務め、今では教会が設立した大学の学長をしています。

彼の教会を訪ねたとき見せられたのは、イスラエルの軍事侵攻で砲撃を受け穴が開いたままにしてある教会の壁。多くのクリスチャンはイスラエルに信仰的憧れを持ち、訪問したりもします。しかし、聖書時代のイスラエルと今の国としてのイスラエルは同じではありません。聖書時代にも神に従った時もそうでなかった時もありました。パレスチナ人たちは土地や自由を奪われています。皆イスラム教徒、ましてやテロリストという事ではなくて、昔からクリスチャンもいて、ミトリ牧師の家系もそうでした。彼は「私はパレスチナ人クリスチャン」他たくさんの書物を世に出し、世界各地で講演をする神学者でもあります。去年は東海教区の教会でZoomで交流会をし、彼に「会い」、話も聞きましたね。

2005年に彼を日本に呼び、各地で講演会をしてもらいました。瓦礫のガラス瓶から作った天使の飾りも紹介し、「爆弾には愛を」と、報復ではなくて、瓦礫の中に天使を見出し、平和を作るものになるよう訴え、新聞にも取り上げられました。8月6日は広島の平和式典に一緒に参加し、言葉を失っていました。全国から集まった中高生や青年とともに広島教会で礼拝や交流もしました。

今年も原爆の日が来ました。ウクライナでは戦争が続きます。アジアも不穏です。互いにいがみ合い、壊されたものを見て悲しみと恨みを持つか、平和を作る足掛かりを作るか。現実は同じで見るものは同じでも、作るものは違います。

私たちに今何ができるでしょうか。平和を祈り、平和を作り出しましょう。牧師:徳弘浩隆


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